ぼくのなつやすみ

ちょっぴり青空が戻ってきて、これからようやく夏が始まる感じ。槙原敬之さんの曲にあるように、店先のスイカの切り口が笑っているように見える、そんな子供のような軽やかなで自由な気持ちを思い出させてくれそう。

小学生の頃の夏休みといえば、毎年静岡県と愛知県の県境にある、山深い両親の郷里に遊びにいくのが通例だった。母親としては里帰り、仕事で忙しい父親としては久しぶりの自由な独身生活(いったい何をしていたんだか)という意味があったけれど、自分にとっては大げさに言うと「野生に戻る」というか、ほとんど手つかずの自然の中に解き放される素敵な日々だった。
だって、ほぼ一ヶ月間滞在して、夏の終わりにはまるで現地の人のように、方言が自然に出てくるようになるんだもの。夏休みの原風景はこんなところにあった。

川で泳ぎ、釣れない魚を追いかけ、すいかやとうもろこしをほおばり、毎日花火を楽しむ。入道雲、にわか雨、夏祭り、終戦記念日、そして盆踊り。親戚が後から遊びに来ては,先に帰りだす。夏ももうそろそろ終わりに近づくなと思うと、それだけでなんだか切なくて、喉の奥がきゅーんと痛くなった。おじいちゃんとおばあちゃんの喜ぶ顔は今年も最初に見れたけど、寂しい顔をまた最後に見なくちゃいけないんだな。

ぼくのなつやすみ」で描かれる真夏の田舎は、まさに自分の見てきた風景そのもの。小さな探検にドキドキし、蛍の舞う夕暮れにうっとりしたり。地元の子供と一緒になって遊んだり、記憶の中のビデオでも見ているようにうれしくなる。ほんの数年前にやったこのゲームを、その頃はまだ生まれてもいなかった自分の娘(4歳)と一緒にやっている。遊んでいるときは、子供の頃の自分もどこからかやって来て、まるで三人でやっているかのような気分になる。

13回忌を迎え、9月にはあの懐かしい田舎に行く。
もう長いこと帰っていないから、どんなに変わっているのか正直怖い気がする。妻も娘も連れていくのは、これが初めて。最初の挨拶の機会が法事になっちゃったけど、許してくれるかな。
おじいちゃんとおばあちゃんの喜ぶ顔を、家族の二人に初めて見せてあげられるかな。

そんな長い長い「ぼくのなつやすみ」の "宿題" は、もうすぐ叶う。