ねこの森には帰れない

 それほど劇的なこともない(とりあえず今のところは)自分の平凡な道のりと、その場面場面にそのBGMとして流れていた音楽について振り返っていく趣旨のこの音ログの旅。
 ですが、早くも小学生の段階で、とりたてて音楽にまつわる大きなトピックスが少ないことが判明(早っ)。

 時代は歌謡曲がまだまだ全盛の頃で、テレビでもラジオでも音楽番組がたくさん用意されていて、オーディション番組の「スター誕生」や「君こそスターだ」(あのコシミハルも輩出)が大人気でした。歌謡曲にはあまり興味がなかったけれど、どんな曲が今人気があるのかは気になっていたようで(今現在はそんなことには全然興味なし)、日曜日の午後からは文化放送の「決定! 全日本歌謡選抜」(司会:小林哲哉)を父親の社用車の中で、一人で聞きふけっていた記憶がありますが、そのくらいかなぁ。ピンクレディーがまた一位かぁ、すごいなー、って。

 おそらく多くの人がそうであると思うけれど、音楽を聞き始めるころの大きな影響力のひとつとして、年上の兄弟(姉妹)の存在があります。自分にも4歳離れた姉がいるのですが、思えば彼女からの影響はかなりあったのだなと再認識しています。狭い社宅のふすまひとつ隔てた姉の部屋からは、明らかに歌謡曲とは一線を画す別の音楽が絶えず聴こえてきました。

 そんな中のひとつ、谷山浩子の『ねこの森には帰れない』。

 歌謡曲では十代の恋の歌が多くを占めていて(ど演歌以外は)、どきどきしたりとどうにもくすぐったい感じであったが、これは主人公が猫?、歌っているテーマもなんだか違うぞ!と、メロディ以外でも興味をそそられた初めての体験だったのかもしれない。また、歌謡曲とは違って、自分で作詞し、作曲するというスタイルもあるのだ!ということにも気づかされた。なるほど、これがシンガーソングライターといふものか。どうりで、ルックスもアイドルとは違ってパッとしていない(失礼)。

 後年になって、某大学の応用微生物学を専攻したとき、そこの助教授がどうも谷山浩子のファンだと判明。なぜか酒豪ばかりが集まっていた研究室での宴会では、助教授とふたりで歌った(どうかしていた...)。

ねこの森には帰れない 帰る道だって覚えてない ねこの森には帰れない なくした歌はうたえない

 そんな助教授は大学を辞めてしまってて、長野の食品工場へ開発担当の上長として再就職したらしい。今でも歌っているのだろうか。