乳房 (1985)

 寝ぼけた耳から、小泉首相靖国神社公式参拝のニュースが聞こえてきた。「あー、やっぱり」と、どこか冷めた想いで聞き流しながら、まだ覚めない眠気に負けて、また眠りに入った。今日は、61年目の終戦記念日

 自分の生まれる20年前に戦争は終わって、実体験などはまったくないけれど、祖父母や両親から伝え聞いた話や、悲惨な史実に触れる時に感じる、あの喉の奥がきゅんと痛くなる感覚はなんなんだろう。この歳になってもうまく言えないし、言おうとすると酷く陳腐になってしまうけど、忘れてはいけない感覚だと思う。正午を知らせるサイレンを合図に、静けさに包まれる 1分間は、気持ちをリセットし、厳かな気持ちになれる貴重な機会。今年も車を運転しながら、家族とともにその時間を迎えました。

 自分の聞いていた音楽に、戦争という影を感じるものはほとんどない。それだけ幸せな音楽に囲まれていたということだけど、唯一この曲だけはその昔の戦争を背景にして書かれたものだと思う。歌詞には、はっきりとは示されてはいないけれど。

 大江千里コスモポリタン」(1985)

 大江千里と言えば、デビュー当時は文字通り「男ユーミン*1路線で売り出し、どこにでもある甘酸っぱいキャンパスライフを親しみやすいポップスで歌い上げるスタイルが、その頃学生だった自分とシンクロして、かなり思い入れがあるアーティストだった。Gilbert O'SullivanやCarpentersの曲のように、彼の書くポップな曲、そして弾くストレートなピアノが好きだった。「回転ちがいの夏休み」(「OLYMPIC」1987)、「ワラビーぬぎすてて」(「WAKU WAKU」1983)というような明るく軽い(失礼)ノリの曲が多いけれど、この「コスモポリタン」(「乳房」1985)は他の曲からは趣を異にしている。

 神秘的なイントロから始まる曲調もそうだが、歌われている歌詞も不思議だ。

コスモポリタン 今世界は軌道をなくし
やり場のない孤独のありか 誰かに求めてる
コスモポリタン アジア中の汗が染み込む
力のない大地を僕は これ程愛せない
コスモポリタン 僕のしてきたことは何
この手が届きそうなあなたに 言葉も捜せずに

 間違っていたらセンスがないと切り捨てられてもいいが、これは「中国残留日本人孤児」のことを歌っているものだと感じた。「黒い髪と忘れそうな日本語が 悲しいくらいあなたに似合っている」という他の歌詞からも伺われる。いまでは確かめる術はないけれど、もしご存知の方がいれば教えてほしいと思っています。

 でも、大村憲司さんも、大村雅朗さんも、他界されているのですね。まだご存命だったら、今聞こえてくる音楽も、もっと幸せなものになっていただろうなぁ。

*1:千ちゃんはこの路線に戸惑いがあったようだけど、アレンジャーの大村憲司さんが「いいんだよ、おまえは男ユーミンのままで」と言われて、吹っ切れたらしい