in Summer's End at NASU (2nd day)

todd_manabu2006-09-03


個人的には気ままなテント設営生活が好きなんだけど、家族にとって最初からそれもどうかと思いながら、実は自分も泊まってみたかったログハウスを一晩借りることに。場所は、「茶臼の森」というところ。4棟のログハウスとデイキャンプが可能な広場(水遊びもできる)で構成されるキャンプ場です。すべてのログハウスは、オーナーとその知り合いのプロの方の手作りで、建ててもう10年目だそうだけど、丁寧にメンテされているためか、年数よりも新しいものに思える。調度品も過不足なく、ちょうどいい感じ。娘も全部木でできたおうちにご機嫌だ。

借りたのは「フィンランド・ミニ」という小家族またはカップル向けの小さめのものだったけど、とりあえずこのくらいで十分でしょう。一番気に入ったのは、テラスには炭火バーベキューができるテーブルがあって、景色を楽しみながら、ゆっくりと外で食事ができること(当然屋根もある)。契約している精肉店から那須牛のBBQセットがデリバリーできるけれど、この日はとりあえず全部自分で作る・揃えるという趣旨なので、近くのショッピングセンター*1で材料を購入。晩ご飯のメニューは、焼き肉のほかに、イカニジマス、そして梅たこ飯。梅たこ飯は土鍋でご飯を炊く料理だけど、いい具合におこげもできて美味しかった。これから、家でも土鍋で炊飯しようかな。

朝は、美味しいと評判の「Bakery&Cafe ペニー・レイン」のブルーベリーブレッドとシナモンブレッドで、ゆっくりと。このお店、TVチャンピオンで優勝したとのことだけど、いつ来てもいつも混雑。TVの影響力は直接的ですごいなぁ。隣接する林の中にカフェがあるけれど、今度ゆっくり来てみよう。*2

こんどはもっと大人数で来たいなぁ。

*1:24時間営業のマックスバリュ

*2:それにしても、ここ那須は、犬を連れている人が多い。まぁ、那須だけじゃないけど、犬を連れているのがなんかステータスなのかな。カフェまで犬連れてくんなよ、と正直辟易。

in Summer's End at NASU

todd_manabu2006-09-02


夏休み明けの9月最初の週末、さすがに人は少ないだろうと思って、那須まで避暑しに来ました。
涼みに来たんだけど、残暑というか、かなりの酷暑。でも、今回は娘に初めての山登りを経験させるために、那須岳に登るのです。

11時前に那須ロープウェイ山麓駅近くの県営駐車場に到着。きっとそんなに混んでいないだろうと思っていたのですが*1、それが大誤算。やっと駐車するのに30分以上かかってしまった。
夏休み終わったんだから、みんな休もうよ。

「大体、20分くらいで着くよ」と、那須岳経験者の妻の言葉*2
娘の体力を考えて、登頂はさすがに無理だと思って、途中の「峰ノ茶屋跡」までの道行きに決定。

富士山登山の経験があったので、「へぇ、そんなんで着くんだ」と軽く考えていました。途中の一面笹に覆われた朝日岳の美しい裾野を楽しむ余裕もあったけど、さすがに運動不足。その上、「おんぶして」と心ない娘の言葉。
ここにきて、それはないだろう。

たぶん、途中で弱音をはいて帰りたいと言うだろうなと思っていた娘だけど、目標地点が近づくごとに、「やっほー」を連呼し、山びこを楽しむ姿を見て、確実な成長を見た気がした。
いつのまに。

帰りの後半は、膝が笑い出して、確実な老化を自分に感じたけれど、山登りってなんだか楽しい。
今度は登頂に挑戦したいものだ。残雪残る山の姿を直に見てみたい気がしてきた。

「2004-4-10 那須岳」
http://www.sky.sannet.ne.jp/halle/sannrei/nasu/nasu.htm

さて、今日はログハウスに泊まるのだ!

*1:昨年、買ったばかりのツーバーナーを使いたいがためだけに、トーストとコーヒーの朝食をここで作って食べました。その時は単に朝早かったから空いてたんだな...

*2:かなり強気というか、計算なしというか。

N.D.E (1995)

 暦の上ではもう秋、のはず。
 でも、ここへきて連日の熱帯夜で、あまりの暑さで「ん”ぁっ!」とうなり声をあげて目が覚めてしまう。べっとりと汗ばんだ体を起こして、周りをよく見ると、となりで寝ている娘の足が自分の体の上に乗っかっていた。「悪夢のもとは、これか...」

 文字通り「川の字」で寝ているのがバレてしまうが、こうして家族で並んで寝るようになる前(つまり独身の時)は、よく「金縛り」にあったものだ。軽い憑依(ひょうい)体質なのか、霊的なものを扱ったTVや本に触れたその夜には、かなりの頻度で「金縛り」に襲われた。中には、布団の中に忍び込んでくるものまでいて、必死に念仏を唱えた。ふっと体が楽になるものの、目を開けるのが無性に恐ろしく、そのまま忘れたふりをして眠りの中にもぐりこもうとした。

 そんなことが続いて、寝る時には心落ち着かせようと、アンビエントな音楽を聴きながら眠りにつくようになった。とはいっても、昨今流行りの「Image」シリーズのような癒しを与えるたぐいのものではなく、Art of Noiseや Anne Dudleyなどのビートのあるものを好んで聴いていた。
 その流れに沿ったものかもしれないけど、一時期スリーピング・ミュージックの一番の座をしめていたのが、これ。


細野晴臣 + ゴウ・ホトダ / ビル・ラズウェル / 寺田康彦

 『N.D.E』とは、"Near-Death Experience"、つまり"臨死体験"のこと。音が聴こえると、意識が回旋しはじめ( 「Spinning Spirits」)、離脱する魂を上へ上へと誘う(「Navigations」)...。僕は落ちているのか、浮かんでいるのか。この1曲目から2曲目までの展開が心地よい。心の底を這うようなファットなベース、いつのまにか心音のようにも聴こえる。あれ、これっていつか聴いたことがあるような、ずっとずっと昔に。心地よくなって、いつの間にか深い眠りに落ちる...。ぐー、ぐーすか。

 というわけで、3曲目以降はよく聴いたことがありません(苦笑)。
 今度寝るときに聴いてみたいけど、たぶんしばらくは無理だろうな。家族が気味悪がるかもしれないし(もう一度、苦笑)。

風街ろまん (1971)

todd_manabu2006-08-19


ぎんぎんぎらぎらの夏なんです。

この暑さの中で、高校球児たちはすごいなぁ、連日連投のエースで四番はえらいなぁ。そんな若さに対してまぶしがりやになってしまった僕は、かき氷をほおばりながら、古い茶屋の店先に誰かさんとぶら下がる(娘とですが...)。

夏になり、逃げ水で光る郊外の道を走っていると、思い出し口ずさむのは、はっぴいえんどの「夏なんです」。2000年を超えた今でも、夏の風景はうれしいことにあまり変わっていなくて、歌詞が描かれたもとの景色をかなりの精度で再現できているのではないかと思う。

「再現」といえば、この『風街ろまん』は、 The Beatlesが多重録音のテクニックを実験しながら、レコーディングの魔法を完成させた Abbey Road Studioとほぼ同じ環境を「再現」して、はっぴいえんどのメンバーとレコーディングエンジニアが造り出したということだ。逸話として、ランチャーズの喜多嶋修さんが深夜 Abbey Road Studioに忍び込み、The Beatlesが使用していた機材を入念に調べ上げ、その報告を受けたエンジニア吉野金次さんと共に研究を重ね、ビートルズの音響を再現する事に成功した、ということ。音の良さに惚れ込んだはっぴいえんどのメンバーが吉野金次さんに『風街ろまん』の録音をお願いしたのは有名な話。

吉野金次さんのことは、FM NHKサウンドストリート(たぶん、佐野元春さん)でよく聞こえてくる名前だったけど、その頃はそのお仕事の中身よりも、吉野金次さんの「金」、伊藤銀次さんの「銀」と続き、それでは「銅」がなくてはいけないだろうということで、『笛吹銅次』という変名を大滝詠一さん*1が使うことになった云々、というエピソードのほうが強烈に覚えている。それと、自分の父親の名前と非常に似ているところも(親父の名前は「よしのきんや」)。

その吉野金次さんが今年の春に脳出血で倒れたらしい。
一命はとりとめたものの、完全快復にはまだまだということで、矢野顕子さんと細野晴臣さんが中心となって、快復を願うライブが開催される予定だそうです。

『レコーディング・エンジニア:吉野金次の復帰を願う緊急コンサート』

8月28日(月)18:30開場/19:00開演 北沢タウンホール
すべてチケットは完売だそうですが、公開リハーサルが 16:00から行われるようですよ(charge:3,000 yen)。

みなさんから愛される吉野金次さん、がんばってください。

*1:その他にも、多羅尾伴内ちぇるしぃ、我田引水、遠山”桜吹雪”金五郎、トランク短井、二宮損損など、数多くの変名を使い分けている変人(失礼)

Baby Blue (1982)

 前のエントリーで、大江千里さんのことを書いたので、久しぶりに初期の作品を中心に聴き直してみた。あの頃の、いろいろなことが思い出されるのと同時に、かなりスイートな歌詞に思わず、「いやぁ、まいったね」と赤面してしまうことも。「POPEYE」や「HotDog PRESS」*1から飛び出してきたようなデビュー当初の印象だったのが、本当は結構硬派っぽいことが、その後の作品でわかってきた。*2

 語弊がかなりあると思うけど、そんな王道を行くような "キャンディポップス" に対しては、以前から少しずつ免疫があったわけです。もはや普遍性にまで通じるくらいの大滝詠一さんの曲や、山下達郎さん、杉真理さんの曲が、たぶん抗原に相当するものだったけれど、もっとスイートな抗原としては伊藤銀次さんの『Baby Blue』〜『WINTER WONDERLAND』までの作品群でしょう。


Baby Blue / 伊藤銀次 (1982)

 大滝・達郎・銀次トリオの『NIAGARA TRIANGLE VOL.1』(1976)から、初のリーダー作「DEADLY DRIVE」(1977)を発表。でも、あまり納得のいくものではなかったらしく、「もう1回出せるんだったら、スタートラインからどんなものを作ろうっていうことを、はっきり定めて作っていきたい」と考えていたようです。60年代のモータウンやマージービートをサウンドコンセプトにして、わずか2年の間に怒濤のように作ったのが、『Baby Blue』『SUGAR BOY BLUES』『STARDUST SYMPHONY 65-83』『WINTER WONDERLAND』の4枚。すべてポップス全開の曲ぞろいで、ハズレがない。ただし、ハズレがないだけ、続けて聴くと緩慢になる可能性が...(笑)。大学生の頃は、よく友達の部屋でのコンパで飲みながら、聴いていた。
 アルバムジャケットを描いたのも、横尾忠則原田治→秋山育→日比野克彦と、当時ビックリハウサーだった自分の琴線をとても刺激したものです。

 しかし、1stの「DEADLY DRIVE」からシングルカットされた同名のインストのB面は、 "Maserati Merak 88"というスーパーカーのエンジン音(エグゾーストノイズ)だけが延々と収録されているらしい。
いくらスーパーカーブームだからといって、これは...。
あんまりです。*3

*1:な、なつかし〜。あの頃の「POPEYE」世代は、ちょい悪オヤジになって、いまでは「LEON」世代になった、らしい

*2:「登記」なんていう生々しい言葉を歌詞に入れて(「塩屋」1987)、さらりと歌うなんて...

*3:そりゃ、納得のいくものじゃないでしょね...

乳房 (1985)

 寝ぼけた耳から、小泉首相靖国神社公式参拝のニュースが聞こえてきた。「あー、やっぱり」と、どこか冷めた想いで聞き流しながら、まだ覚めない眠気に負けて、また眠りに入った。今日は、61年目の終戦記念日

 自分の生まれる20年前に戦争は終わって、実体験などはまったくないけれど、祖父母や両親から伝え聞いた話や、悲惨な史実に触れる時に感じる、あの喉の奥がきゅんと痛くなる感覚はなんなんだろう。この歳になってもうまく言えないし、言おうとすると酷く陳腐になってしまうけど、忘れてはいけない感覚だと思う。正午を知らせるサイレンを合図に、静けさに包まれる 1分間は、気持ちをリセットし、厳かな気持ちになれる貴重な機会。今年も車を運転しながら、家族とともにその時間を迎えました。

 自分の聞いていた音楽に、戦争という影を感じるものはほとんどない。それだけ幸せな音楽に囲まれていたということだけど、唯一この曲だけはその昔の戦争を背景にして書かれたものだと思う。歌詞には、はっきりとは示されてはいないけれど。

 大江千里コスモポリタン」(1985)

 大江千里と言えば、デビュー当時は文字通り「男ユーミン*1路線で売り出し、どこにでもある甘酸っぱいキャンパスライフを親しみやすいポップスで歌い上げるスタイルが、その頃学生だった自分とシンクロして、かなり思い入れがあるアーティストだった。Gilbert O'SullivanやCarpentersの曲のように、彼の書くポップな曲、そして弾くストレートなピアノが好きだった。「回転ちがいの夏休み」(「OLYMPIC」1987)、「ワラビーぬぎすてて」(「WAKU WAKU」1983)というような明るく軽い(失礼)ノリの曲が多いけれど、この「コスモポリタン」(「乳房」1985)は他の曲からは趣を異にしている。

 神秘的なイントロから始まる曲調もそうだが、歌われている歌詞も不思議だ。

コスモポリタン 今世界は軌道をなくし
やり場のない孤独のありか 誰かに求めてる
コスモポリタン アジア中の汗が染み込む
力のない大地を僕は これ程愛せない
コスモポリタン 僕のしてきたことは何
この手が届きそうなあなたに 言葉も捜せずに

 間違っていたらセンスがないと切り捨てられてもいいが、これは「中国残留日本人孤児」のことを歌っているものだと感じた。「黒い髪と忘れそうな日本語が 悲しいくらいあなたに似合っている」という他の歌詞からも伺われる。いまでは確かめる術はないけれど、もしご存知の方がいれば教えてほしいと思っています。

 でも、大村憲司さんも、大村雅朗さんも、他界されているのですね。まだご存命だったら、今聞こえてくる音楽も、もっと幸せなものになっていただろうなぁ。

*1:千ちゃんはこの路線に戸惑いがあったようだけど、アレンジャーの大村憲司さんが「いいんだよ、おまえは男ユーミンのままで」と言われて、吹っ切れたらしい

野外ライブに行きたい

todd_manabu2006-08-04


ここ10数年間で、ロックフェスティバルと呼ばれる巨大な野外ライブが定着しているようです。「ようです」というのも何とも恥ずかしい気がしますが、行ってみたい気持ちは維持し続けているのですが、なかなか背中を蹴飛ばしてくれるような CUE(「きっかけ」ね、一応 YMOチルドレンなので)がないので、まだ未経験なのです。

野外ロックフェスって、普通は二日か三日にわたって連続して開催されるので、テントを張って、寝泊まりしながら音楽を楽しむらしい。いいではないですか。もともとキャンプ好きだし、開放感を感じながら好きな音楽をビールでも飲みながら聞くなんてのは自分のスタイルにぴったりな訳で。自分でごはん作って食べるのもいいし、出店の”フェス食”を食べるのもよし。朝からビール飲んでも、「人間のクズ」なんて言われないし。

これは極楽の世界か?

友達が先週、苗場で開催された FUJI Rock Festival 2006に行ってきたらしい。いつもはクールに決めている彼も、初めての野外ロックフェス(しかも久しぶりのライブ)だったこともあるし、あの Madnessの来日ライブも10何年ぶりということで、かなり興奮して帰ってきたらしい。異常にテンションが高いメールに、ちょっと違和感を感じながらも(笑)、とても羨ましく感じた。今年の FUJI Rock Festival 2006って、あの元 Jellyfish(あと、Imperial Drag、The Moog Cook Book)のRoger Joseph Manning Jr.もライブしたのか。いいなー。

個人的には、もうちょっと涼しげな場所で初めての野外ロックフェスを楽しみたい気分。北海道の朝焼けを楽しめるかもしれない Rising Sun Rock Festivalなんていいな。

いつかは行こう、きっと。